禁煙の記 
太田公士(10月1日)
 実は2001年7月26日の午後10時をもって、私はタバコを止めることにした。
 一生涯を通して、もう金輪際、これからの人生では1本も吸わない!という不退転の決意だ。私が、この地上に生ある間は、死ぬまで吸わないということだ。止めるとはそういうことだ。後ろにはもう戻らない。ハラをくくったのである。
 何日経ったか余り意識もしなかったが、指折り数えると既に約二ヶ月以上が経過したことになる。今日に至るまで私は1本のタバコも吸っていない。
 場所は「カフェテラス本郷」での決意だった。何の脈絡もなく、突如として「タバコをやめよう」と思った。したたかに酔っていたのだが、今宣言したら、一生涯を通してずっと止められると閃いた。だから宣言した。だから実行できると思った。我が家においても、帰宅するなり「今日からタバコ止めたからね!」と大宣言した。
 あれから約50日。私はもう完全にタバコを止められたと思う。最初は少し苦しかったが、タバコのない生活が、今では全く苦にならないし、タバコが欲しいとも思わないからだ。アルコールが入っても全く変わらない。
 なぜタバコを止めようと思ったのか? 私はなぜタバコを止めることができたのか? 止める決意をしてから今日まで、どのような経過を踏んだのか? 私なりにまとめておこうと思う。
 そして、私なりの禁煙記を示すことで、タバコを止めたいけれど止められないという方の、参考に供したいのである。

1)なぜ止めようと思ったのか?
 まず、なぜ止めようと思ったかだが、よりにもよってしたたかに酔っている最中に、である。これは少し難しいが、自分なりに分析してみた。あの時、酔いながら私はこの世の無常を感じた。「人生あきらめが肝心」というような感情に、私は襲われた。私のなかで悶々としていたある感情が、そう思えたことで氷解したのである。何が氷解したかは未だ確定できないが、私はその瞬間、何かこの感情を行動で現したいと思った。大袈裟だが、それはある意味で「悟り」とも言えるような感情だった。(酔っていたからこそ開けてきた悟り!)
 行動に現すには何がいいか。ふと思い浮かんだのが、故郷の母が電話口でしょっちゅう言っている「タバコやめなさいよ」との言葉だった。「ああ、これがあった」と思った私は、即座にその場で禁煙宣言をしてしまった。開封したタバコをギュッとにぎりつぶし、予備に持っていた開封前のタバコも、そのままカフェ本のママに預けてしまった。ライターも置いてきた。

2)なぜタバコを止めることができたか?
 これはもう実に簡単。止めようと心底思えたからである。私は「止めよう」と思った瞬間に、タバコを吸わない私に変身したのだ。止めようと思っても止められないのではない。止めようと思ったら必ず止められる。止められないのは本当に止めようと思っていないから…。私はそう思う。これはレトリックじゃない。私の実感だ。結果が全てである。
 私もかつては「止めたらいいんだけどねえ」「でもこれがなかなか出来ないんだよねえ」と本気で止めようとは思っていなかった。禁煙席に出くわした時なども「高額納税者を差別するとは何ということ!」と自己弁護していた。こうした自己弁護や言い訳けがある限り、何事も成しえないと私は思う。

3)止める決意をしてから今日まで、どのような経過を踏んだのか?
 タバコを止めてみてわかった「タバコの効用」が3つある。
 その1は、頭がスッキリするということだ。タバコを吸わなくなると何かボーッとして、当初は神経が集中しなくなった。人は「それ見たことか」と、ニコチンから容易には逃れられないと言うかも知れない。しかし私はその時、こう考えた。ニコチンに覚醒作用があるにしても、タバコを吸わない人は喫煙者に比べて覚醒率が低いかと言ったらそうではない筈だ。ノーベル賞をもらった学者は全て愛煙家だったという話を聞いたこともない。これは単に、習慣に根差した一過性の「効用」に過ぎない。タバコを吸わない自分が常態となれば、タバコなしでも覚醒的でいられる筈だ、と。習慣が変わるまでの、ほんの暫くの辛抱に過ぎない! と思ったのである。
 私はこんな考えで理論武装し、最初の誘惑を絶ちきったのだ。
 タバコの効用の2番目は、間を持たせるときに便利だということである。文字通りタバコを煙幕代わりに使うという効能である。これは裏を返せば自分の弱さを自ら公言しているようなものである。人と付き合うのに何か手続きがいると思ったり、距離を保つために物理的な煙を使うのはよくないと思う。ここにいる「素」のままの自分でいいじゃないかと開き直ればいい。煙幕なんて必要ないさと思えれば、この習慣はたちどころに消える。
 3番目の効能としては、口が淋しいときに、何となく落ち着くこと。「何となく」なので特に気にすることはない。単に生理的な習慣ならば、無害のクリップや爪楊枝を加えていればいい。

 このようにして、時々の感情を自分なりにコントロールし、理論武装し、自分を納得させているうちに、いつの間にかそういう意識も消え失せていたのである。「タバコを吸わない自分」が常態となったのだ。
 振り返って思うと、やはり「どれだけ本気になったか」が全てだと思う。
 一日に、マイルドセブン4箱を吸っていた私が、いとも簡単にタバコを止められた。人差指・中指は右手も左手も真黄色だったこの私がタバコを止められた。決してむずかしいことではないと思うのである。これは私の実感である。
 止めようと心底思えたら、タバコは必ず止められる!!




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