「関東銀嶺会」のこと
太田公士(10月20日)
 弊社の一角に「関東銀嶺会(かんとうぎんれいかい)」の事務局がある。と言っても、電話とファックスが置いてあるだけのものだが…。私は本年6月から、この会の常任幹事となり、事務局を提供しているというわけだ。ここまで読まれた皆さんは、「やば〜」と思われるかも知れない。実は「関東銀嶺会」とは、私の出身高校の同窓会の名前。兵庫県朝来郡生野町。中国山地のド真ん中の鉱山の町が私の故郷で、母校は「兵庫県立生野高等学校」。鉱山自体は昭和47年に閉山したが、銀の産地だったので、同窓会にも「銀嶺」の名が付いた。
 実科女学校に始まり、高等女学校の時代を経て、戦後は学制改革によって新制高校として時代を超えてきた。創立90周年も間近に控えている、結構歴史のある母校ではある。しかし最近は、地域の過疎化で生徒数が減少し、統廃合の対象にもなっているというから、心中穏やかではない。愛する母校の名前が消えるなんてことは考えたくもない。出来ることなら卒業生の力で、存続運動を展開しようという声が出始めている。
 関東地区に在住している卒業生は700人。数年前から同窓会の関東地区の支部組織が出来上がったが、事務局を担当されていた先輩が海外赴任されることとなり、私に事務局提供のお鉢が回ってきたというのがコトのイキサツである。(私は事務局長ではありません、電話番です。念のため。)
 本年4月、新たに電話をひいて、どうにか事務局は引き継げた。そんなある日、いきなり間違い電話がかかって来た。
 「はい、関東銀嶺会です。」と応えると、相手はしばらく沈黙…。そして「す、すみません!」と言うなり、電話を切ってしまった。私は「ハハ〜ン」と思った。これはどこか、こわ〜い事務所にかけてしまったと勘違いしたに違いない、と。総会が年に1回開催されているが、同窓会の会場で墨痕もあざやかに書かれた会の名前だけを見たら、事情を知らない人は、そそくさと逃げ出されるかも知れない。
 でも同窓会は同窓会。イカツイ名前とは裏腹に、実に和やかな楽しい会である。中心になっておられる先輩方は、錚々たる大物ばかり。ちょっと自慢させていただくと鎌倉・円覚寺の管長さんや、評論家の竹村健一さんなども先輩である。他にも上場企業の役員をやっておられる先輩や、出版会社、印刷会社、食品会社の社長さんなど多士済々である。
 私などは幹事の中では最も若い部類に属し、末席を汚しているだけのものではある。しかしそこは“同窓会ならではのの良さ”なのだろう。肩書きや経歴・年齢などは関係なしに、同窓の話題に花が咲くと、一気に高校時代の懐かしい青年に逆戻り。時空を超えて、楽しい時間を共有できるのは実に不思議なことだ。
 去る10月8日にも、先に記した前事務局長さんの送別会を兼ねて、鎌倉・円覚寺に有志が集った。午前中は円覚寺の管長さんの「日曜説教会」の法話を聞き、その後は管長さんも交えて食事会。
 鎌倉五山の一つ、円覚寺といえば、歴史と格式を誇る神奈川県屈指の名刹である。その管長さんと一緒に食事をさせていただき、なおかつ同級生諸氏による、管長さんの高校時代の悪行の暴露!などもあり、抱腹絶倒の実に楽しい一日を過ごさせていただいた。
 とはいっても同窓会の席で見せていただく管長さんのお姿は、あくまでもB面。午前中の法話では、実に深い悟りの境地をオリンピックの話題などを交えて、淡々とわかりやすくご教示くださった。「文明社会は日進月歩、しかし心の世界は日退月衰だ」と手厳しい文明批評なども織り交ぜて、心の修練の必要性を訴えられたものである。
 朝比奈宗源老師の後を引き継がれて就任された管長さんは、春秋社から『もう死んでもいいですか ありがとう』という法話集を出版されている。人間にとって避けて通れない「死」の問題を、仏教(臨済宗)の立場から実に明快に応えて下さっている。僭越ながら、現象世界の浮沈に惑わされず、真の安心(あんじん)を得させていただける名著だと思う。
 同窓会の諸先輩の偉大な足跡に学ばせていただきながら、何十年か後、後輩たちに何か残せるものが出来るように、日々励みたいと思った古都・鎌倉のすがすがしい一日だった。
 そして、何とか母校の存続を実現するために役に立ちたいと、思わずにはいられなかった。

※下のアドレスは「兵庫県立生野高等学校関東地区同窓会・関東銀嶺会」のホームページです。私の母校の同窓会はこんな会です。どうぞ気軽にお訪ねください。

http://www14.freeweb.ne.jp/school/kginrei/




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