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最近は忙しくてなかなか歌舞伎座や国立劇場に足を運べないが、以前は好きな芝居がかかると足しげく通ったものだ。文楽も大好きで、人間国宝・越路太夫さんの引退公演には、わざわざ大阪の国立文楽劇場に行ったりもした。「寺子屋」に不覚の涙を流したほど、その極め尽された名人芸に感動したものだ。
さて、弊社の近く、東大赤門前に「カフェテラス本郷」(通称:カフェ本)というレストランがある。ここのママとはかねてからの知り合いなのだが、先般、カフェ本ホームページのオフ会があり、片岡嶋之亟さんという歌舞伎役者と知り合った。その名前からわかるように嶋之亟さんは、上方歌舞伎界の名跡・十五代目片岡仁左衛門(前・孝夫)の門弟である。
歌舞伎役者は、芸風の家伝相承の伝統から役者の子弟が、幼くしてこの道に入る人が多い。嶋之亟さんは、全くの外の世界から、二十歳を過ぎてから歌舞伎の道に入った変り種である。しかも京都大学法学部に籍をおき、ボート部に所属していたというから二度びっくり。この世界では十七、八歳を過ぎて入門する者を「中年から入った」と言われるのだと、嶋之亟さんのトークショーで最近、教わった。
そんな嶋之亟さんと歌舞伎との出会いは、学生時代に京都・南座で「顔見世」のアルバイトをしたことがキッカケ。その時、嶋之亟さんは「桜姫東文章」という芝居を観た。「こんな演劇があったのか」と、強烈なカルチャーショックを受けたという。当時嶋之亟さんは新劇をやっていて、将来は映画を作ろうと思い、その勉強のためのアルバイトだったという。ところが歌舞伎が持っている「艶」というものと、今までに感じたこともない不思議な空間に、すっかり魅了されてしまったと述懐しておられる。
南座での仕事はエレベーター係。楽屋と舞台、そして奈落とをつなぐ手動式のエレベーターに出演前後の役者さんを運ぶ係だった。ごく間近に接する役者さんの「気」というもの、歌舞伎の魅力にすっかり虜になった嶋之亟さんは、仕事のない休みの日まで三階席の一番後ろで朝から晩まで鑑賞し、下宿に帰ってからも台詞を声色で真似てみたりと、徐々にアルバイトがアルバイトではなくなっていくのである。ミイラとりがミイラになったとはこのことだ。
この世界への憧れはつのるばかり。しかし家柄や血筋の厳しい世界…。自分がこの世界に入ることなど、考えてもみなかったという。ところが、あまりにも熱心な姿勢が、師匠(仁左衛門師)の目にとまり、「ウチに来ないか」と誘いを受けることに。意に反し「体が勝手に動いて」入門を決意したという。「清水の舞台から飛び降りる」ような気持だった。
それから今日まで二十余年。精進が大いなる実を結び一九九八年四月には、歌舞伎役者のステータスである名題適任証を授与された。
名題あるいは名題役者とは、江戸時代に各座の絵看板(名題看板)に描かれた役者の事で、昔は座頭などの推挙で名題に進級したが、大正時代から名題試験が行われるようになり、現在も日本俳優協会によって数年に一度、名題試験が実施されている。
合格者には「名題適任証」が授与された後、舞台で披露を済ませて初めて「名題役者」になれるという仕組みである。
「孝二郎改め二代目嶋之亟」として「桜喜屋(さくらぎや)」の屋号と「銀杏に桜」の紋もいただいて、この六月、歌舞伎座で襲名披露を済ませた嶋之亟さんは、名実ともに名題役者の仲間入りを果たしたのである。南座の顔見せでも、これからは、玄関正面に「まねき」の看板が上がる。
さてここで、嶋之亟さんのこれまでの活躍を記しておこう。
まず主な役柄では、「封印切」「新口村」の梅川、「吉田屋」の夕霧、「鮓屋」のお里、「妹背山」のお三輪、「太功記十段目」の初菊、操、「賀の祝」の千代、「輝虎配膳」のお勝、「お光狂乱」のお光、「伽羅先代萩」(竹の間、御殿)の沖の井などがある。いずれも女形の華ともいうべき錚々たる役柄ばかりである。
一九九七年七月には長年の功績が認められて「関西・歌舞伎を愛する会」の奨励賞も受賞した。
最高裁判所が一九九八年に作成した調停相談キャンペーンポスターのモデルも務めた。
講演の依頼も多く、医師会、弁護士会、銀行などの文化サークルや、小学校の家庭教育委員会、京都シニア大学等で、歌舞伎についての講演を行なう傍ら、文筆方面でも活躍し、短歌誌等にエッセーを発表している。
また、なかなか劇場に足を運べないお年寄りたちに、少しでも歌舞伎の雰囲気を味わってもらおうと、「女形のできるまで」の公演を東京豊島園のシルヴァーヴィラ向山で一九九四年から毎年行なっている。「女形のできるまで」は国際日本文化研究センター、高槻現代劇場、京大会館、全日空ホテルでも公演し、いずれも超満員だという。
「セリフとトークのショー」を東大赤門前のカフェテラス本郷で行うなど、一般の方々に歌舞伎を親しんでもらうための催しも積極的に開催している。加えて、モントリオール総領事館、国際交流基金、日本ケベック友好協会の協力のもとに一九九七年九月に行なった「女形のできるまで」のカナダ公演も大成功をおさめるなど、その経歴は地道ながら華やかな彩りに包まれている。
また嶋之亟さんは「英語を話せる数少ない歌舞伎役者」でもある。先に記したカナダ公演では、モントリオール大学で約四〇分間、英語で講演した。これから歌舞伎の国際理解を促進する上で稀有な重要人物だと、私は思う。
嶋之亟さんの直近の出演予定は、九月・日生劇場での「夢の仲蔵」。十月・歌舞伎座公演である。
これまで私は、単に「好き」で歌舞伎や文楽を見てきた。しかし、生身の役者さんの生き様にじかに接する機会などは、嶋之亟さんが初めてである。ひょんな縁で知りあった、私とほぼ同年代(?)だと思われるこの役者さんの今後を、素晴らしい演技を楽しませていただきながら、僭越ながら、ずっとずっと見続けていきたいと思う。
ところで、九月の国立劇場・文楽公演は「仮名手本忠臣蔵」。久しぶりに文楽が見たくなって、一日の通し券を予約してしまった。これも私にとっては思わぬ“嶋之亟効果”である。
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